ゾウとネズミ・人間とギャンブル

僕はギャンブルはやらない
基本、興味がないからだ。うるさい空間が嫌いだし個室で静かに何億もかけるほど度胸も資産もない

まあでも新規事業もギャンブルみたいなものだ。費用を使いいくら稼ぐかのギャンブルだ。
実力と努力も勿論関係するが、出会った人、その時の社会情勢みたいな運もかなり関係する

昨日友人と電話していて実家に帰ろうかなーみたいな話をしていたら
お前がそんなこと言うなんて相当きてるね。大丈夫?と言われたが
多少自覚はあるがそんな大事ではない。

5年前ぐらいは都心で住んで、働いて、遊ぶのはとても刺激的で楽しかった。
田舎暮らしなんて考えられねーぜヘヘヘ状態だ

まあ何故そうなったかと言うのがこの前
[ゾウの時間、ねずみの時間]
と言う本を読んであっそれそれと思ったことがあったので一部抜粋する。

ちなみに本書はゾウとネズミのサイズの違い、時間軸の違いを科学を照らし合わせて描いてある面白い本だ。
少し長くなるが是非、都会で暮らしている人は読むと納得することがあると思う。


以下一部抜粋

先日、沖縄から東京に引っ越した。人の歩く速度が違う。しゃべる速さが違う。
時間にきつく縛られた都会人の時間がはたして、人本来の時間なのかと疑問に感じてしまう。

沖縄から飛行機が近づいていくと、東京方面に灰色の塊が浮いて見える。これに突入すると、それが羽田だ。
降りて見る空はえも言えず、もやーっとしている

確かに東京には空がない。空を見あげる気にもなれない。
空を見ていた目が行き場を失い自分の頭の中を見つめはじめる。

生き生きとした自然に接していないと、どうしてもすぐ頭の中を見つめ始め、抽象的になっていくようだ
抽象的になりはじめると、とめどなく思考のサイズは大きくなり頭でっかちになっていく。


都会人のやっていることは、果たして人本来のサイズに見合ったものだろうか?
体のサイズは昔と変わらないのに、思考のサイズばかり急激に大きくなっていく。
それが現在の都会人ではないだろうか。


体をおきざりにして頭だけどんどん先に進んでしまったことが、
現在の人類の不幸の最大の原因だと私は思っている。

僕も最近そう思います>

TAMANIHA SORAO